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仮庵の祝い

ネヘミヤ記8章13~18、使徒言行録2章1~4
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主日礼拝説教

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仮庵の祝い

次の日も、すべての民の家長たちは、祭司・レビ人たちと一緒になって、エズラのもとに集まってきました。「律法の言葉を深く悟ろうと」、エズラに教えを乞い願ったのです。

前の日には、およそ百年振りに、律法の書がエズラによって朗読されたばかりでした。さらにレビ人たちが、律法の書に記された神の言葉を一つひとつ、その意味を民に解き明かし、聞かせました。神の言葉に耳と心を開かれて、イスラエルの民は、「主を喜び祝う」恵みを深く味わいました。捕囚から解放されたイスラエルの民は、こうして神の民として再建されていったのです。目に見えるところでは、エルサレムの都で神殿を再建し、崩れ去った城壁の再建設が終わりました。しかしイスラエルは、ただ単に神殿という建物によっては再建されません。律法の書に書かれた、神の言葉のひとつひとつに聴き従い、これに養われることによって、イスラエルは、神の民として再び立ち上がるのです。

その証拠に、次の日にも、イスラエルの主だった人びとが一人のこらず、エズラにもとに自ら集まってきます。もっと広く、もっと深く、主の御言葉を知りたい、聴きたい、み言葉に養われていきたい。そうした願いを、民全体が抱いていた証拠です。

そのようにして、祭司エズラから、さらに深く御言葉の導きを受けていくなかで、大変なことに気づきます。出エジプトの救いの恵みを祝う大切な行事を、自分たちは忘れていた。そのことに気づかされたのです。この大切な行事こそ、「仮庵の祭り」です。

仮庵とはテントのことです。幕屋です。かつてエジプトの奴隷の家から、主なる神がわれらを導き出されたとき、イスラエルは、約束の土地を目指して40年間、荒野の中をさまよい、旅しました。この40年の間、イスラエルは、荒野でテント・幕屋を建てて、家の代わりにしたのです。荒野を一日旅して日が暮れると、荒野の中にテントを建てて一晩を過ごします。夜が明けるとテント・幕屋をたたんで、旅を続けます。そしてまた日が暮れると、テントを組み立てて…という風に、仮設のテントを建てたりしまったりして、荒野の40年を過ごしました。仮設のテントですから「仮の庵」、「仮庵」と呼ばれます。

もうすでにイスラエルは、荒野の旅を終わり、約束の土地に入って何百年を過ごしました。さらにバビロンという国での捕虜生活にも終わりを告げて、神の都エルサレムに帰って来ることができました。しかし、律法の書ははっきりと告げていました。約束の土地に入ったあとも、出エジプトの救いの恵みを決して忘れてはならない。神が大いなる御手をもって、奴隷の家からあなたたちを救い出された出エジプトの奇跡と、荒野の40年の歩みを常に心に刻みつけなさい。そのために一年に一度、第七の月に、仮庵というテントを町の広場に作り、その中で七日間を過ごしなさい。神の大いなる救いの恵みを思い起こしなさい。このことは、旧約聖書のレビ記23章をはじめ、民数記29章、申命記16章でも、命じられています。

仮庵の祭りのことなど知らない。聞いたこともない。出エジプトという神の救いの恵みなど、長いこと忘れていた。このこと自体に驚きを隠せません。久しく律法の書が読まれなくなっていたとはいえ、何という日々をわたしたちは過ごしてきたのか! これを知ってイスラエルは驚きに打たれ、深い悔い改めへと導かれます。それが次の9章のテーマとなります。

どうしてこういうことになったのでしょうか? 大切な祭が長い間忘れ去られていたのは、律法の書が行方不明になっていたからではありません。国が滅んでバビロンの国に捕らわれていたからでもありません。ヌンの子ヨシュアの時代からこの日まで、仮庵の祭りが祝われたことは一切なかったのです。ヨシュアの時代とは、荒野の40年を終えて、約束の土地に入ったあの時代です。そのときすでに、律法の書は十戒とともにイスラエルの手にあり、人びとは、祝福された土地で生活を始めたばかりでした。400年に及ぶ奴隷の生活から解放され、40年にわたる荒野の苦労からも完全に解き放たれて、神が与えた豊かな土地で、新しい生活を始めることができていました。すべては神の恵みの賜物です。にもかかわらず、もっとも満ち足りていたとき、この幸いを与えた神に感謝することを忘れていた。いったい、どういうことでしょう。神の恵みと感謝を忘れる。これほど大きな罪があるでしょうか。

ところが、このようなイスラエルに対して、わたしたちの神は、「大きな喜びの祝い」を与えられました。当然、悔い改めが必要です。しかしそのためにもまず、神は、喜びの祝いをわたしたちに与えます。忘れ去っていた神の恵みを思い起こせ! 救われた感謝を全身全霊をもって、神にあらわし賛美せよ! 今からでもおそくはありません。神への感謝を礼拝で、精一杯、神にささげる。このことによって神の民は再生し、生まれ変わっていくのです。

ネヘミヤ記をみますと、御言葉を深く悟った一人ひとりが、聖書の御言葉に書かれているとおりに、木の枝を集め、手作りで仮庵のテントを作り始めます。御言葉にあるとおりに、この粗末なテントの中で一週間を過ごします。ヨシュアのとき以来、神が求めておられた感謝の祭りを、歴史上はじめて、皆が心を一つにして主にささげたのです。出エジプト以来、イスラエルが初めてささげた祝いの祭です。この仮庵の祝いを、天の父は喜んで受け入れてくださいました。だからこそ、民全体に「まことに大きな喜びの祝い」が生まれたのです。天におられる神の喜びが、地上に生きるわたしたちの「喜び」そして「祝福」となって、天から地へともたらされました。

この仮庵の祭りは、出エジプトを祝うもう一つの祭り、過越の祭から数えて50日目にあたります。すなわち、われらの主イエス・キリストがわたしたちの救いを成し遂げ、天に昇られたあと、50日目に訪れたあの日のことです。聖霊降臨日=ペンテコステ。仮庵の祭は、ペンテコステのひな型であり原型です。ペンテコステの日、神の右におられるキリストから聖霊がわたしたちの上に注がれ、教会は産声をあげました。救いの恵みと主イエス・キリストへの感謝を長いこと置き去りにしてきた罪が、たとえわたしたちにあるとしても、それでも神はわたしたちをキリストのゆえに赦します。受け入れます。キリストを信じるわたしたちをこの御方の体である教会にしようと、神は、主を喜び祝うことを、わたしたちにお与えになり、お命じになりました。事実、主を喜び祝うことによって、わたしたちは、教会になっていくのです。

2021年2月7日 降誕節 第7主日礼拝 説教者:堀地正弘牧師