コラム
3月の礼拝招致
牧師 飯田啓子
2月27日月曜日、JR大曲駅に降り立ちました。静岡から大曲まで750㌔。乗り換え待ち込みで5時間半、車なら休憩込みの10時間。
駿河の国から出羽の国は本当に遠い。なんて高い卒業式参加費なんだろうかと思いながら、準備に頭を悩ませました。駿河の国で過ごせる洋服は出羽の国では役に立たない。特に靴。雪が無いので長靴は断念しましたが、凍結具合が判らない。部分的なアイスバーンなのか、スケートリンクなのか。光の子らしく陽が出ている時だけ行動しようと、防寒対策は靴下で凌ごうと靴も諦める。
だいたい静岡駅から草深までの距離と、大曲駅から栄町までの距離は同じ。無雪のおかげで難なく歩くことが出来ました。歩いていると追い抜いていく車から声がかかる。この年でナンパとは嬉しいなぁと笑顔になりますが、3台とも「飯田さん乗ってくかぁ、家さ送るべ」と知り合いでした。また滞在している間、教習車を多く見ました。どでんしたのは教習を受けている運転者。息子の同級生ばかり。折々に触れて乗せていた子たち。今度は乗せてもらう番になるのかと感無量です。
この町で17年間。様々な出会いや交わりの中で倅も親も家族一人一人が育てられました。一方的な関係ではなく相乗効果の中で育てられたと思います。同級生たちもこの町に残るメンバーもいれば出るメンバーもいる。
「この町で 生きていこうと決めた18の春」というキャッチコピーありますが、この町で生きていく決心が日々育ちますようにと祈ります。守られている安心感が自分の町としての信頼に繋がっていくのでしょうか。
3月の礼拝招致にイザヤ書53章11節が示されました。「彼らの罪を自ら負った」御方。この御方に自分の罪を負って頂いたことを知る彼ら。裁かれ赦されていることを知り、悔い改めて聴き従う者とされていく姿が「自らの苦しみの実り」です。それをご覧になって満足される。有難い限りだと思います。神の僕が自らの苦しみである十字架によって、その実りとして神の国に生きる希望があることを与えてくださっているのですから。生きづらい世の中で生きやすくされるのではなく、神の国で生きる希望が与えられている。しかも私たちは何もしていません。全部、神の僕が、この世の希望の中で生きる罪を、神の国の希望に変えるために罪を自らが負ってくださっているだけです。
(神様から)負えと言われて負う。この神様との交わりの関係を生涯かけて生きていきたいと思います。