コラム
江河久子姉妹
牧師 飯田啓子
「はじめて教会に行くまで、わたしはキリスト教とはまったく関係がありませんでした。貞淑を美徳として、無理な努力を続けていた毎日でした。そんなころ、地元の英和中学校に進学した娘の机の上に、教科書と共にあった聖書を何気なく読んでみました。『だから言っておく、自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い煩うな。何をしないでも、天の父は鳥を養ってくださる。野の花は、栄華を極めたソロモンも、この花の一つ程にも着飾っていなかった』。こんな素晴らしい、こんな自由な世界があるのかと、今まで過ごしてきた私の何十年は何だったのかと、深く感動したことを今でもはっきり覚えております。そのようなとき、今は 亡き 鈴木 淑子 先生から『教会に来てみませんか』とお手紙をいただいて、はじめて静岡草深教会の門をくぐりました。牧師の辻先生ご夫妻は未熟なわたしを、ある時は厳しく、ある時はやさしく心を砕いて育ててくださいました。教会堂では、はじめのころは目立たないように一番後ろの席に座っておりました。礼拝と祈祷会を休まないで出席するうちに、とるに足りない小さな自分が、神様の御計画の御手のうちにあるようだとようやく気付かされました。」
これは4月イースター墓前礼拝で納骨式が予定されている、故江河久子姉が草深から転会された聖ヶ丘教会で書かれた文書です(原文のまま転記しました)。今回、聖ヶ丘教会の牧師から、納骨にあたり姉妹がどれほど神様に愛されていたか、草深からはじまり聖ヶ丘教会を経て、復活の礼拝の時まで主を愛しておられたかを分かち合ってくださいとの祈りの中で、届け
られた姉妹の文書です。
同時に姉妹の逝去に際して届いた辻哲子先生からの句がありますので紹介します。「『銀木犀 天に凱旋 百三歳』/空の鳥を見よ、思い煩うなと、あの信仰を生きられた方です」。
私は生前の交わりを得ることが出来ませんでしたが、なんと素直に愛されている事を知り喜び、素直に愛された方だろうと、復活の礼拝で共に礼拝を献げることを待ち遠しく思う方だと嬉しく思っています。ここまで復活信仰を導かれ養われた姉妹。それを導き続けた三位一体の神様を誇りに思うばかりです。そして同じ復活信仰を育て上げてくださる恵み、時には厳しい指導であり、時には自由にされた喜びの導きですが、三位一体の神様がこの罪人のために働き続けてくださることを祈り求める、新しい求道の祈りと御心だけがなることに信頼する祈りを新たにされます。