コラム
前任者の訃報
飯田敏勝
10月28日付けの「教団新報」※1の訃報欄に鴘田將雄(ときたまさお)先生の名がありました。わたしの初任地、神戸神愛教会の前任者です。
40年の長きにわたり神愛を牧会してこられました。辞任後は隠退し、神愛の隣の須磨月見山教会※2に礼拝出席されていました。
ただ近隣の牧師たちが集まる読書会や、神愛や月見山も所属する連合長老会の牧師会などに一緒に参加していたので、公私にわたり話す機会は多くありました。
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気概のある方、というのがわたしの一貫した鴘田先生の印象です。
阪神・淡路大震災を経験し、その後の対応をなされました。わたしが赴任した震災から四年目には、まだ公園の仮設住宅があったりしましたが、その年の内にすべての仮設がなくなりました。震災から十年経つと神戸中央郵便局も再建され、主だった街の機能はほぼ戻ったかに思えました。
しかし、震災発生直後から激動の数年間を70歳の鴘田先生が対応されていたわけです。
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兵庫教区は聖餐の乱れも顕著です。
わたしも直に教区オリエンテーションで聞きましたが、補教師※3が主任で赴任した教会では「かわいそうだから」という理由で執行が許容されていました。
また、教区内では未受洗者配餐がまかり通っています。
そうしたところにはっきり異を唱え、福音に立つ教会のあり方を神戸神愛教会において、また同じ信仰的姿勢に立つ連合長老会において、固く保ってこられました。
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先週、草深においては神学生が説教奉仕してくれましたが、それと大して変わらないような新卒に長年牧会してこられた教会を委ねるのは、不安も多かったであろうと、今になって手に取るようにうかがえます。
ですが、鴘田先生は御自身の失敗談も臆することなく後輩牧師たちに語り、牧会者としての多くの学びをわたしはさせていただきました。
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辞めた教会に深く関わることはすべきでないと、わたしも神愛には無礼なほど疎遠だったかもしれません。しかし鴘田先生の葬儀には必ず駆けつけようと、ずっと考えていました。
既に近親者のみで終えられたとのことですが、感謝の思いに堪えないのが訃報に際しての当方の胸の内です。
※1 日本基督教団の新聞です。
※2 現在の牧師は清水教会におられ、草深の代務してくださった 高橋爾 (ちかし)先生と信 (あき) 先生です。
※3 伝道師ともいい、聖礼典執行が教規で許されていません。