コラム
今日は日曜日
飯田啓子
今日から受難週、イエス様の地上での最後の一週間が始まります。日曜日はエルサレムに入城、木曜日は弟子たちの足を洗い(洗足)、最後の食事へ。金曜日は受難日。朝の9時に十字架に磔にされ、午後3時に息を引き取られた十字架の日です。
高校生の頃、仲間とクリスマスページェントのような感じで、イースターの劇をしてみようと計画したことがありました。受難週を見える化するのが目的です。
場面としてはエルサレム入城・洗足・最後の晩餐・裁判・十字架、そして復活。復活は再現できないだろうから、岩を転がすことにしました。
4つの福音書を読み比べて、各シーンのメインのセリフを決める。しかしなかなか難しい。教会学校の先生はじめ校長先生、牧師に相談したけど、みんな答えは「今まで聞いてきただろ。そこから選べ」でした。
エルサレム入城を読み比べても、雰囲気が違うので、この福音書にすると一つには絞り切れません。洗足が最も解りやすいですが、ヨハネ福音書しか伝えていません。
あれこれ考えたあげく、思い出したのがクリスマスページェント。一つの福音書でページェントが完成するのではなく、4つの福音書がそれぞれ呼応しあって、それが神様とのハーモニーとされている。クリスマスを伝えていないマルコ福音書だって、伝えていないことで神の子イエス・キリストの誕生の次第を伝えている。
同じように各場面を任された一人一人が、自分自身で聴きとったものを台詞とする。繋がらないように思えたものが一つのストーリーとされた時、不思議な面白さを知りました。
8日に東京神学大学の卒業式に出席しました。今年の卒業生は12人。現学長が初めて任地を決めて派遣するメンバーです。
その日、久しぶりにダブル旧約夫人に会いました。二人の共通点は、御主人が現役学長時代に病で召されたことです。3年前に御主人を送り出した夫人は、「彼が元気なら、この学年が最後の卒業生になるはずでした」と話してくれました。久々に学長の言葉と声を思い出して、しばし涙が溢れました。しかしそれは悲しみよりも嬉しい時、祈りに支えられていることを知る幸せな時でした。
聴いていた内容がリアルになっていく。言葉だけではなく声や姿や表情が浮かんでくる。主イエスがリアルになればなるほど自分自身を素直に諦めることが出来るようになる。これもまた不思議な恵みです。