コラム

福音のための献身

飯田敏勝

 先週の礼拝時は正直、少し情緒不安定でした。声を詰まらす場面に気付かれた方も少なからずいたようです。
神学校のクラスメイトが亡くなり、金曜に葬儀に参列したためです。単に仲が良かったというより、一番信頼がおけるメンバーでした。神学生時代に共に学び、牧師として共に戦ってきました――聖餐の乱れを決して許さない、教団という教会を形作るために。必ずしも同じ現場におらずとも、相互の働きを尊重し合えました。
 その彼が「今朝の礼拝には参列していない」、「同じように聖餐を執り行っていない」と思うと、こみあげてくるものがあったという次第です。
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 教会員訪問の際に、長寿祝福の会でのオカリナ讃美歌メドレーや、笛を吹いたりしています。小さな楽器での生演奏は、こちらが思う以上に何かをもたらしているようです。音楽が持つ力を感じますね。
 R姉が「元気をいただいた」と言ってくれたことは嬉しい限りです。また、今一番吹いてあげたい相手はM姉です。完全に目が不自由になっての入院生活を、もうしばらく続けねばなりませんから。退院したらすぐ、聞かせたいと思います(M姉の好きな宗次郎のようには吹けませんが)。
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 かつてS兄を訪ねたら、ちょうどF姉と教会のことを話していたところだったそうです。牧師の顔を見た途端、「これは幻か?幻か?」と連呼されていました。
 教会員のところを訪問するのは不思議なもので、思いもかけぬことがしばしば起こります。
 祈りの前と後で、表情が違うこともよく目にします。お訪ねした際の病状や困惑に、牧師が何か解決できるわけではありません。正直、こちらも当惑しながら祈ることがあります。しかし現に、祈りの前と後では、目の輝きが違うものです。
 聖書や讃美や祈りの言葉を通して、神さまが現に働いておられることを教えられる瞬間です。
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 O兄のお母様のお通夜に、啓子牧師共々参列しました。先週の礼拝で訃報を聞いた皆さんが浮かべた沈痛さと、その際お願いしたお祈りを届けるためです。
 参列を控える案内もしましたが、牧師個人が特別なのでなく、教会を代表してという立場で臨みました。
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 病気や老いや死は、世の現実です。心身に及ぼす影響力は強く、その支配はわたしたちを蝕(むしば)みます。しかしイエスさまは、まさにそれらの力と戦い、十字架と復活はそれらに対する勝利です。
 この福音を輝かせるためにこそ、わたしたちの人生はあるのです。