コラム
神さまに応えるために
飯田敏勝
クリスチャンは、完全無欠ではありません。考えの上でも、行いの上でも、不備は多々あります。それでも、神さまがわたしたちに期待しておられることは何かに耳を傾けて、完全無欠でなくとも歩み出す者であると思います。
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先週のコラムの祈祷会の話にしても、参列しないからクリスチャン失格という話では決してありません。
ただ、「祈りは、神がわたしたちにお求めになる感謝の最も重要な部分だ」とハイデルベルク信仰問答116は述べています。それを無下にしないためにも、体調や気持ちに無理がないなら、年に数回でも出席してください、というお願いでした。
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礼拝についても同様のことは言えますが、礼拝出席(できれば聖餐に与ること)と、神さまの恵みへの感謝と教会維持を覚えて月定献金をささげることは、教会員の務めです。
通年それが皆無だと、上記の意義を踏まえて、応答する意志がない者であると、教会の法の上では判断し得ることになります。具体的には現住陪餐会員から、別帳に移すのです。それは、クリスチャンでなくなることでは決してありません。ただ、アクティブな教会員ではない、ということです。
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明確な規定や方法が定まっていませんが、聖書を読むことも、信仰者にとって大切なことです(参照、Ⅱテモテ3:15~16)。
「真の信仰とは……神の愛についての確固とした認識であ」り、それは「聖霊の特別な賜物であることを、聖書はわれわれに教えて」いる、とジュネーヴ教会信仰問答111~112は述べています。
神の愛の啓示は、聖書によってこそ踏まえねばならないのです。
それでも実際には、中々聖書が読めない状況を重々承知しています。
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一つの対応策として、聖書通読会を始めています。主日礼拝前には9時10分から30分間、小礼拝堂にて行っています。定められた箇所を(一応は事前に)読んできて、その感想や疑問を自由に述べ合います。それを聞くだけの形で参加してくださっても一向に構いません。聖書の文字と、神さまの愛に、親しめることでしょう。
旧約・新約それぞれの大筋を追う初級コースが終わり、聖書六六巻すべてに手を付けようという中級コースが始まります。そのための新しいカードも配布しています。
初級コースに選んだ箇所と重ならない、それぞれの書物の代表的な箇所を読み進めると共に、聖書の一つ一つの書物の特徴も伝えていきます。新たな参加者を期待しています。