コラム

神の言葉を響かせ合う

飯田敏勝

 2025年度の年間目標は「神の言葉を響かせ合う」です。聖句はローマの信徒への手紙10章8節で、以下の箇所です。
では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
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 2024年度に「御国」をテーマにしたとき、それが遠く、いつか(概して死んでから)行けると考えがちだという問題提起をしました。
 しかし、マルコによる福音書1章15節から、イエスさまの宣教と共に「近づい」ていることを確認しました。また、ルカによる福音書17章21節を参照して、信仰者たちであるわたしたちの間にある と言えることを確認しました。
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 その上で、では現にわたしたちの間に何があるのかを追究していきたいのです。
 教会はエクレーシア――すなわち、神の言葉が呼びかけられて、その周りに形成される人の群れ――なのです。単に人が集まっていればいいのでなく、神の言葉が交わされていることが重要です。
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 礼拝では、聖書と説教を中心に神の言葉が聞かれ、会衆が讃美や祈りで神さまに言葉で応答します。主日礼拝はもちろんですが、教会の諸集会や、プライベートな場でも、そのような交流がなされるべきです。
 アクティブなメンバーだけでなく、今や集会に足を運ぶことが困難な教会の枝にも、この交流は行き渡らせていきましょう。説教要旨のメモや、ホームページでの音声も活用してください。また、YouTubeチャンネルを開設して、礼拝に来られない場合にも福音に触れることができるよう配慮したいと計画しています。
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 信徒は受けるだけで満足するのでなく、更に自分の人生を献げて、広く信仰的な言葉を響き渡らせる務めがあります。
大々的な伝道でなくとも、祈る姿を家族や周囲に示すことでもいいです。ささやかでも、証しの業を続けていかねばなりません。
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 信仰の事柄は、この世で明瞭な因果関係が判明するとは限りません。十戒を守れば、主の祈りを唱えれば、必ず救われるなどと主張できないのです。
 ただ、神の言葉を響かせ合うとき、神さまはそれをご覧になり、喜んでおられます。羊飼いであられる神さまの、羊を守る配慮が必ずそこに施されます。それを信じ、頼りにしてわたしたちは歩みたいものです。