

コラム
「祈りの形」

飯田 敏勝
前回提示した長老会での質問(聖餐準備の祈り)に、はっきりとお答えしますね。
自由祈祷は、祈る本人の作文の要素が加わってしまう課題が伴います。キリスト教の中には成文祈祷を重視する教派もあり、聖餐準備などの際には大いに参照すべきかと思います。
日本聖公会の祈祷書を見ると、「聖餐式」の式文の中に「聖餐準備の式」の項目があり、交唱での祈祷がいくつか載っています。中には「十戒による準備」や「山上の祝福による準備」という聖書に基づくものもあり、「洗礼堅信式を受け、聖餐に招かれている者としての準備」という具体的状況を想定したものもあります。
実際にこれらを活用してもいいでしょう。特に、牧師と一緒に聖餐準備をするなら、普段の祈りの形と違いますが、適当かもしれません。
同じ祈祷書の「就寝前の祈り」の最後に、「主日前夜のため」という祈りがあります。少しアレンジを加え、個々人でも聖餐に備える祈りとして使えます。次のようになります。
神よ、復活の輝きによって、み子イエス・キリストをわたしたちのうちに常に現しておられることを感謝いたします。どうか、この安息日に主の栄光をたたえ、聖餐を祝うとき、喜びにあずかることができますように。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
汎用性の高い祈りとして、案外使えると個人的に判じているのは、十字を切ることです。カトリックがしていることを何から何まで否定する必要はなく、動作を伴う祈りというのは、作文では乗り越えられないところを乗り越えさせてくれます。
カトリックの『祈りの手帳』によると、次のように動作をしながら、( )内の文言を唱えます。
まず胸の前で手を合わせ、次に額(父と)、胸(子と)、左肩(聖霊の)、右肩(み名によって)の順に手で触れて、祈りを唱えながら十字架のしるしをします。最後に再び胸の前で手を合わせます(アーメン)。
いや、やはり変じゃない?と思うなら、ご自身の自由祈祷に確信を持つしかありません。基本的に祈りは、そのシチュエーションに相応しい要素だけを祈れば十分かと思います。ですが、それだけで安心できない思いが湧くからこそ、こうした違う型を紹介するのです。
型があることでアートになり、表面的な情報量以上を伝えることができる(先週のコラム参照)のです。十字を切ることは、一瞬で神さまに確実につながることを実感できます。詳しくは晴佐久昌英『十字架を切る』(女子パウロ会、2012年)をお読み下さい。