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イスラエルの牧者
イスラエルの牧者
主イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。ヘロデ王とは、どんな人だったのでしょう。彼は、純粋なユダヤ人の生まれではありません。ユダヤ人たちは、純粋な血統を重んじる人々です。そんなユダヤ人たちの心を得るために、ヘロデは名門の祭司の家系の娘と結婚しました。この結婚によって、彼はユダヤで高い地位を手に入れよう考え、それは成功したのです。しかし、ローマが台頭し多くの国々が、ローマの支配に屈します。ユダヤも、ローマ帝国の植民地となりました。ヘロデにとって、ユダヤ人から人気を得るために婚姻した妻も、彼女との間に生まれた息子3人も邪魔になりました。彼は、最初の妻と息子たちを殺して別の女性と結婚します。そうやって、ヘロデはローマからのお墨付きをもらってユダヤの王に任命されました。その後も彼は、自分の王座を守る為多くの人の命を奪いました。かつての友人や、側近たちなど数え切れない程の人々が、ヘロデの王座を脅かす者だと疑われ殺されました。何か少しでもヘロデ王とのいき違いのあった人は、殺されたともいわれています。彼の疑心暗鬼と権力への執着を、当時のユダヤで知らない者はありませんでした。そういう時代に、イエスは、お生まれになったのです。
その頃、東方のから占星術の学者達、博士たちが旅に出ました。東方とは、おそらく、ペルシャかバビロニアかアラビアのいずれかです。今で言う、イラン、イラクのあたりです。東方の国々は古来、数学(ゼロの発見)、天文学などの学問の先進国だったのです。占星術の学者というと占いをする人だと現代人は考えます。ただし当時は、現代のように占いや魔術と科学との明確な区別はありません。
当時の学者達にとっては、自然科学と占いの区別はないのです。学者たちは、天体や自然の観察・研究をすることによって、知恵を蓄え将来のことを予測しました。天体の動きを観察して、この世の中の諸々のこと(日照りや大雨など)を予測し、王や指導者達の生死、政治経済の将来までも考えてきました。当時の占星学は、今で言う天文学、気象予想、政治経済学と占いなどの多様な側面があったといえます。当時の世界は、科学と占い魔術の混在する時代だったのです。“巨星が堕ちる”という表現は、偉大な王や指導者達の死を意味し、新しい星が現れるのは、新しい王が世に現れるしるしだと考えられていました。
博士達は新しい星を発見しました。新しい星、それは、偉大な王が生まれたしるしです。王の生まれた場所はユダヤだと、博士達は示されました。それで早速、博士達は、新しい王に会って、敬意を表すために旅立ったのです。博士たちが見つけたその星は、博士達にあわせて、博士たちを導くようにゆっくりと動いていきました。博士たちの国、東方の国からエルサレム到着まで、少なくとも1~2ヶ月あるいはもっと時間がかかったかもしれません。長い旅をしてようやく博士達は、ユダヤの国の都エルサレムにやってきました。新しい王が生まれたとすれば、生まれた子どもは、きっとヘロデの世継ぎ、皇太子として生まれたに違いない。そう思って博士達は、ヘロデ王の宮殿を訪ねていきました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。わたしたちは、その方の星を見て拝みにきたのです」。博士たちの言葉を聞いて、ヘロデは不安になりました。またしても、自分の王位を狙う者がまた現れたのかと。祭司長達、律法学者たちも、エルサレムの一般の住民たちもヘロデ王と同様に不安にかられました。なぜ祭司や律法学者、エルサレムの住民までがなぜ不安になるのでしょう。ヘロデ王と新しく誕生した王の間で血で血をあらう権力争いが起こるかもしれない。それが心配だったのです。博士たちは、遠い国から来たので、そんなユダヤの事情は分かりません。博士たちは、なおも問い続けます。いったい新しい王様は、メシアは一体どこにおられるのでしょう。わたしたちは、メシアに会ってごあいさつしたいです。そういわれるうちに、ヘロデ王も、メシアの居所が気になっていました。博士たちとは別の理由ですが。ヘロデは、祭司長や律法学者達に聞きました。「メシアは、どこに生まれることになっているのか」、祭司長と律法学者達は聖書を紐解いて答えました。祭司たちの答えは「ユダヤのベツレヘムです。『ユダの地ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さい者ではない。お前から指導者が現れ、イスラエルの牧者となるからである』」。
「エフラタのベツレヘムよ、お前は氏族の中でいと小さき者」(ミカ5章1)。ベツレヘムは、ダビデの出身地です。ダビデは、イエスが生まれる千年程前のイスラエルの王です。彼は、ベツレヘムで羊飼いをしていた時、主に選ばれて王になりました。彼は、イスラエルの歴史上一番の名君として知られた人、主の目に正しい事をした王、周辺諸国の侵略の脅威から体を張って民を守った王として知られています。ダビデからソロモン時代にかけてイスラエルは全盛期を迎えました。ベツレヘムは、ダビデの出身地で重要な場所でした。時代の流れで、ベツレヘムは小さな町になり、次第に人々から忘れ去られたのです。ミカの預言は、人々が忘れたベツレヘムからダビデ王にまさる真の王が生まれると預言します。「彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」と。
聖書の言葉から、新しい王メメシアは、ユダヤのベツレヘムで生まれたことがわかりました。ヘロデは博士達を呼び、こう言いました。「出かけて行って、その子のことを詳しく調べてくれ、見つかったらわたしにも知らせてくれ。わたしも行って拝もう」。ヘロデはそういって博士を送り出しました。もしヘロデ王もメシアを拝みたいなら博士達と共に行けばいいと思います。ヘロデ王は、博士たちと一緒には行きません。祭司たちも律法学者たちも、エルサレムの住民も、誰一人博士と一緒にメシアに会いにいこうとはしませんでした。ユダヤ人たちは、長いこと何百年もメシアのお生まれを待っていた筈のなのに、なぜ誰もメシアに会いに行かないのでしょう。ヘロデの本心はメシアを見つけたら直ちに殺そう。それしか考えていません。彼は、本心を隠していたのです。メシアを待っていた筈のユダヤ人たちは、もうとっくにメシアを忘れていた。神を知らない異邦人たちの方が、熱心にメシアを探していたのです。
博士達は、ヘロデ王の言葉を聞いて出かけました。すると、東の方で見た星が再び現れます。その星は、博士たちに先立ち彼らを導くように進み、幼子イエスの居られる家のところで留まったのです。博士達は、その星を見て非常に喜びました。ようやくたどり着いたのです。家に入ると幼子イエスが母マリアと一緒にいました。三人の博士は、幼子イエスの前にひれ伏し、礼拝をささげました。宝の箱を開けて、博士は幼子イエスにささげました。博士の持ってきた宝は、黄金、乳香、没薬を。これらは、貴重なものであったし、彼らの生活を支えてきた占いの道具です。そんな大切なものを、博士達はなぜ惜しみなく献げることができたのでしょうか。それは、メシアを見つけた喜びに満たされていたからなのです。博士達は、夢で神からお告げをうけました。「ヘロデのところに帰るな」と。ヘロデの様な悪賢い人を疑うすべも知らなかった。世間知らずな博士たちを神は守ってくださったのです。 今まで博士たちは、星を観察し、学問を究め知恵を蓄えてきました。それでも彼らに見つけられなかったものそれは真の救い主です。博士たちの知恵によって辿り着いたのではありません。博士たちを導いたのは、神様です。神は星と聖書の言葉の啓示によって、博士達をメシアの元に導いたのです。
博士たちの旅は、約束の地を目指したイスラエルの荒れ野の40年の旅に似ています。イスラエルは約束の土地に向かって旅をし、博士たちは約束された救い主に会うために旅したからです。どちらも神の約束を目指す旅だったからです。わたしたちの信仰生活も旅に例えられます。わたしたちは、神が約束された神の国、救いの完成を待ち望みながら、この世に生きています。信仰とは、神なき世界で、神の導きを信じていく旅路であり、神の約束されたものを目指すものです。博士たちの旅は、まだ続きます。自分たちの本来あるべき場所にたどり着くまで博士たちの旅は続きます。わたしたちにとって本来のあるべき場所とは、主イエスがおられる天の国です。「いわば旅であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いを見て神をあがめるようになります。」(ペトロの手紙一2章11)。博士たちもヘロデ王から悪人呼ばわりされました(マタイ2章16節)。しかし、博士たちの旅路を主は最後まで守ってくださったのです。主は、わたしたちの信仰の旅路をも守ってくださいます。世の終わりまで主はわたしたちと共に歩んでくださるのです。
(説教者:堀地敦子牧師)