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感謝の極み
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感謝の極み
テサロニケの信徒への手紙一、この手紙は「感謝の手紙」と呼ばれています。神への感謝をつづった手紙、「喜び」「祈り」そして「感謝」をささげる神への手紙です。
ところが今パウロは、激しい口調でユダヤ人たちを攻撃しています。これまで味わった苦しみを、ぶちまけているようでさえあります。いったい、どうしたというのでしょう?
13節でパウロは、神に感謝をささげました。わたしは「絶えず神に感謝しています」。なぜなら、テサロニケの教会に集うあなた方は、「わたしたちから神の言葉を聞いたとき、…人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです」。宣べ伝えられた神の言葉は、今も、あなたがたの内で、わたしたちの内で、生きて働いています。
ところが、このあと話は迫害のことに及びます。自分たちがいかにユダヤ人たちに苦しめられてきたかを語ります。このときのことは、使徒言行録17章に詳しく記されています。
ユダヤ人たちは、預言者たちを殺し、神が遣わした救い主キリストをも十字架につけて殺しました。そして今度は、キリストを信じ歩んでいるわたしたち教会とクリスチャンたちを、苦しめている。激しく迫害している。異邦人たちが救われるようにと、わたしたちは一生懸命、福音を宣べ伝えているのに、それを妨げるとは、何ということだ! 彼らは神に喜ばれることは何もせず、人々に敵対し、「自分たちの罪をあふれるばかりに増やしている」。そして最後にこう言い放ちます。「神の怒りは、彼らの上に臨む」。
テサロニケの教会のことで、あれほど喜び、祈り、神に感謝をささげていたのに、それらすべてをぶちこわすような言葉!言葉!言葉の連続に、耳を疑ってしまいます。
ついにパウロの弱さが出てしまったのでしょうか? 神に感謝をささげたのだから、あとは言いたい放題言わせてもらおう。そんなことで、パウロは手紙を書き続けたのでしょうか?
いいえ、そうではありません。なぜならパウロは、激しい言葉の中で、こう呼びかけているからです。14節「あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました」。ユダヤにいるキリスト者たちも、周りのユダヤ人から苦しめられてとても苦労している。あなたがたも、ついに同じ苦しみを味わうようになったのですね。「ユダヤの諸教会に倣う者になった」。そういう言い方で、生まれてまもないテサロニケの教会が、迫害を受けるほどにまで成長した。そのことを喜び、誇りとさえ感じています。
テサロニケの信徒たちは、自分の仲間たちから苦しめられていました。見ず知らずの人から苦しめられるのならまだしも、仲間だと思っていた人たちから迫害されるとは、つらいことです。まだ信仰に入る前、仲良くしていた友達、家族や親戚など。仲間だと思っていた人びとが、われわれがキリストを信じるようになったとたん、手のひらを返すように迫害してきたのです。さらに迫害に心折れて、信仰から離れた人びともいたでしょう。信仰の仲間であったはずの人たちまで、一緒になって迫害してきたとすれば、辛くないわけがありません。
けれども、そのような経験は、決してテサロニケの信徒たちに限ったことではありません。ユダヤの地で、キリストを信じて歩んでいる信徒たちも、ずいぶん前から同じ苦しみを味わってきました。パウロが、自分自身の辛い経験をあえて語ったのは、テサロニケの教会で信仰に生きる人びとをなぐさめ、励ますためだったのです。
テサロニケに限らず、ローマ帝国の主だった町には、かならず、ユダヤ人たちが住んでいました。彼らは、十字架につけられたイエスこそメシアだという、まちがった教え・信仰が、ユダヤだけでなくローマ帝国の至るところで宣べ伝えられている。それを憂いて、教会の伝道を各地で妨害していたのです。そのため、信仰に入ってまもないテサロニケ教会の人びとは、信仰を揺さぶられ、教会は困難に直面していました。しかし、パウロははっきり告げました。「苦しんでいるのは、あなたたちだけではない」。ユダヤでキリストを信じ告白している教会の人びとを見てごらんなさい。あなたがたの信仰の先輩たちも、同じことで悩み、苦しんできたのです。そうやって皆で、同じ信仰の闘いをしてきました。それは、あなたがたにキリストを宣べ伝えた私も同じです。あちこちの町や村で、同じ苦しみを味わってきました。
だから、テサロニケの愛する兄弟姉妹たちよ、このことを心に刻んでほしい。あなたがたは決して一人ではありません。自分一人で、自分たちだけで闘っているのではありません。信仰者ならば、だれもが通る道を歩んでいるのです。迫害や試練は、キリストを信じ、キリストの弟子とされたことの証しです。そう伝えながら、信仰の闘いにけなげに取り組むテサロニケの信徒たちの姿に、パウロ自身、どれだけ励まされ、力を与えられたことでしょうか。
さらにパウロは、こう付け加えました。かつての預言者たちも、同じように迫害されました。キリストを信じて生きようとするなら、迫害を受けない人はいません。あなたがたは、かつての預言者たちが味わったのと同じ苦しみを受けているのです。実に尊い苦しみです。
ほかならぬ救い主イエス・キリストが、わたしたちを罪から救い出すため、ありとあらゆる苦しみを味わってくださいました。わたしたちは皆、キリストの弟子であり、イエス・キリストの子どもです。わたしたちが今出遭っている試練も、これから遭遇する困難も、救い主が味わわなかったものはなにひとつありません。「御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(ヘブライ2章18)。
キリストを信じたわたしたちは、キリストの列に加えられました。この世界を救うため、キリストがわたしたちの先頭に立って、今も闘ってくださっています。苦しみの中でこそ、キリストに出会うことができます。キリストは、罪と死に勝利をおさめた方。この御方が、わたしたちの人生、信仰の生涯、教会の歩みに勝利を与えてくださるのです。
キリストは、「御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわず十字架の死を耐え忍」ばれました(ヘブライ12章2)。わたしたちのために! まさに感謝の極みです。この御方は、神の国をたずさえ、世の終わりにもう一度来てくださいます。この御方を信じ、仰ぎ、主のあとに続きましょう。「主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40章31)。
2020年7月19日 聖霊降臨節 第8主日礼拝 説教者:堀地正弘牧師