コラム

異言的と預言的

飯田敏勝

 マイケル・ジャクソンが死んだ後の日曜日、それを献金感謝の祈りで触れた大曲教会員がいました。ま、余程ファンなのだと思いました。が、真意を聞いたら意外なものでした。「ああいう人でも死ぬんだ」というのが、驚きだったからだそうです。
 わたしなりに分析と説明をすると、次のようになります。
*    *    *
 「アイドル」には「偶像」の意味があります。その人にとって望ましいものを与えてくれるのです。芸能界ではもっと軽い意味でアイドルと称されますが、時にそこから突き抜けてアイコニックな存在が生まれることがあります。
 マリリン・モンローが一番分かりやすい例ですが、彼女の肖像はセクシーさの代名詞ですよね。ノーマ・ジーン(マリリンの本名)自身の意向とは全く別に、出演作品の傾向や後世のイメージの積み重ねによって方向づけられ、アンディ・ウォーホルの芸術によって昇華されたりして、全世界的に通じるアイコンになっています。
 個人的に杉本彩や井川遥、マドンナやデュア・リパこそがセクシーだと主張することはできます。しかしセクシーさを競い合うようなレベルではなく、マリリン=セクシーという等式が成り立つアイコンとして、彼女に敵うものはいません。
マイケル・ジャクソンは生きながらポップ・スターのアイコンになっていたと解釈するならば、彼が普通の人間と同じように死ぬことに、軽く世界が揺らぐ衝撃を感じた――それゆえ祈らざるを得なかった――体験を理解できるのです。
 *    *    *
 聖書には「異言」と「預言」が出て来ます(参照、Ⅰコリント14章)。他人にも通じる理性的な言葉が「預言」なのに対し、確かに神さまから霊を受けて発している言葉だけれど、他人に直接通じない「異言」が、教会の中にはあったのです。
*    *    *
 日本語を話していても、他人に通じない「異言」的状態はよくあります。言葉が通じないのでなく、話が通じないのです。たとえ当の本人が説明をしようとしていても、その言葉に説得力がなければ、またしかりです。
 一方で逆に、偉大な芸術を前にしたとき、理性的な言葉がそこになくとも圧倒され、説得力を持つことはあります。言葉を使わずとも「預言的」な状態になることがあることでしょう。
*    *    *
 冒頭の一件にしても、わたしもずっと気にしていましたが、当の本人の思いを聞いたのは何年も経ってから、です。それまでは誤解していました。
 異言には翻訳者が必要です。自分を造るのでなく、教会を造るためには預言的な側面を整えていきたいものです。