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先立って進む星
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先立って進む星
ついに、たどり着きました。星に導かれて、博士たちは、遠い国からはるばるエルサレムにやって来ます。生まれたばかりの救い主メシアのもとへ、神によって導かれてきました。
博士たちは、最初、ユダヤの王ヘロデを訪ねます。なぜなら、彼らを導いた星は、「新しい王がユダヤにお生まれになった」。そのことを告げ知らせる「しるし」だったからです。ところがヘロデ王は、新しい王が生まれたとの知らせを、心穏やかに聞くことができません。心をかき乱されて、博士たちに言いました。「その子が見つかったら教えてほしい。わたしも行って、その方を拝みたいから」。しかし王の本心はちがっていました。生まれたばかりの救い主を葬り去ろうとしていたのです。なんとひどい王様だろうと思います。けれども、この王様こそ、わたしたちの姿を映し出す鏡ではなかったか、と思うのです。
王の王として生まれた救い主など、わたしは認めない。わたしこそ王だ、いや神だ。わたしの人生、わたしの生活、家族や隣人、そしてこの国も、すべてはわたしのものだ!
実は心の中で、そうした欲望をたくましくしているのが、わたしたちではないでしょうか? 救い主を信じるなんて、ばかばかしい。神の言うことなど聞くものか。神が与えてくださった救い主を、亡き者にしようとする。キリストを十字架につけたのが、わたしたちです。ヘロデ王の姿は、わたしたち自身の姿でもあります。 救い主に出会うために、その前に、わたしたちは、自分がいかに罪深いか。ありのままの姿を見せつけられます。神の前におごり高ぶり、自分を神であり主人であると思ってきた。認めたくはない、自分のほんとうの姿が、ヘロデ王という鏡に映し出されます。
しかし博士たちは、自分たちよりも、神の方を信じました。信仰深いふりをする王に送り出された彼らは、東で見たあの星が、さらに輝きを増し、明確に自分たちを導いているのを、その目で見て、確信したでしょう。自分たちを星で導いておられるのが、主なる神であることを!
先立って進む星は、ついにその場所に止まりました。彼らは、その星を見て、喜びにあふれます。まだキリストに出会う前なのに、もうすぐ救い主に出会うことができる。喜びの予感が、全身全霊を包みました。そしてついに、彼らは「家の中に入って」いきました。そこには、彼らが出会いたいと切に望んでいた救い主が、母親と共におられます。博士たちは、その場に倒れ込むようにして、主イエスにひれ伏し、礼拝しました。遠い国から携えてきた宝の箱を開けて、黄金・没薬・乳香をささげました。
聖書には、「家に入ってみると」とはっきり書かれています。生まれたばかりの主イエスが、母と共おられた「家」とは、いったいどういう家でしょう?
ルカによる福音書によれば、「宿屋にはマリアとヨセフの泊まる場所」はありませんでした。よく馬小屋と言われますが、福音書のどこを見ても、馬小屋のことは書いてありません。飼い葉桶に寝かされていたため、きっと馬小屋だろうと後の時代の人びとが想像したのです。しかし飼い葉桶は、家の外に置かれることが多かったので、母マリアは夜の星の下で、つまり野宿のなか、幼子を生んだかもしれないのです。
マリアと主イエスがいたことになっている「家」とは? 救い主イエス・キリストがおられる所、そこが家です。神の家、神の国です。馬小屋であれ、道端であれ、夜空の下であれ、主がおられる場所、そこがわたしたちの家、神の家なのです。遠い道のりをはるばる旅してきた博士たちは、主イエス・キリストを礼拝することで、神の家に迎え入れられました。
キリストに出会ったことで、彼らの旅は終わったかのようにもみえます。事実、博士たちは、キリストと出会った後、天使のお告げで、あの悪い王様のところには戻らず、別の道を通って自分たちの国に帰って行きました。
つまり、キリストを信じ礼拝したその場所から、新しい旅が始まったのです。帰る先は、今までと同じ日常の場所です。にもかかわらず、キリストを信じて受け入れた時点から新しい人生が始まったと、聖書ははっきり告げています。
わたしたちも同じです。キリストを信じ、洗礼を受けるまでの旅路があります。しかし、洗礼を受けさえすれば、キリストに結ばれさえすれば、魂の旅路は終わるのでしょうか? いいえ、洗礼から新しいほんとうの旅が始まります。キリストを信じて罪を赦され、教会の一員とされる。そこから新しい信仰の旅が始まります。やがて訪れる神の国が、ゴールです。このゴールをもたらすため、世の終わりにキリストは、もう一度来てくださいます。クリスマスは、この永遠のゴールに向けた、新しい旅立ちのときです。
世の中では、苦難がなお続きます。しかし、わたしたちはもう、あのヘロデのように、罪の中に戻り留まる必要はありません。主イエス・キリストが、わたしたちのために、新しい「別の道」を開いてくださいました。この道を、世の終わりまで、主キリストと共に歩みつづける。ここに真の幸いがあります。
2020年12月20日 待降節 第4主日・クリスマス礼拝 説教者:堀地正弘牧師